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始めるより、やめるほうが難しい

誰も使わなくなった仕組みを、誰もやめようと言わない

もうだいぶ前の話になるが、ある全社活動を進めていた時期に、社内で走っているプロジェクトを一覧で見える化する仕組みが作られたことがある。

思想はとても良かった。100件を超えるプロジェクトが、今どれだけあって、オーナーが誰で、それぞれどういう状態なのか。バラバラに走っている活動の全体像を鳥瞰する。実際、その思想はちゃんと形になった。

ただ、時間がたつにつれて、メンテナンスされなくなっていった。

個々のテーマは進んでいるし、進捗は別のルートできちんと報告されている。だから誰も困らない。一覧の情報だけが少しずつ古くなっていく。そうやって一年、二年が過ぎて、「そろそろいいんじゃないか」という空気が、誰の口からともなく漂うようになった。

漂ってはいたが、誰も言い出さなかった。

「理屈ではわかっている」人が、それでも頷けない

全社活動が運用フェーズに移り、色々な役割も変わってきた。区切りをつけるタイミングだろう。そう考えて、仕組みのプロダクトオーナーに「そろそろ終わりにしませんか」と話をしに行った。

反応は、芳しくなかった。

喧嘩になったわけではない。反論されたわけでもない。オーナー自身、理屈ではわかっていた。この仕組みが一定の役割を終えたこと、クローズすべき時期に来ていること。それは彼のほうがよく理解していたはずだ。

それでも、頷けないように見えた。打ち合わせの空気は、怒りでも抵抗でもなく——寂しそう、というのがいちばん近い。悲しそう、と言ってもいい。

彼の立場に立ってみれば、当たり前のことだった。見えなかったものを見えるようにした、というのは彼の成果だ。その成果に自分で幕を引くというのは、「うまくいかなかった」と認める行為に見えてしまう。やめますと言ったとき、周りはどう思うか。自分の評価や評判にどう響くか。おそらく、必要以上に考えてしまったのだと思う。

現実的な話もある。クロージングには作業が伴う。片付けも説明も要る。始めるときには誰も手伝ってくれるのに、終わるときは一人だ。「面倒だな」という感情を、責められる人はいない。

正直に言うと、私はこの時、居心地が悪かった。言っていること自体は間違っていないはずだった。フェーズは変わったし、実際にメンテナンスもされていない。だが、話し終えた後には、「正しいことを言えた」という感覚ではなく、「この人を寂しくさせてしまった」という感覚が残った。どう言えばよかったのか、そのときの私は答えを持っていなかった。

やめられないのは、意志の弱さではない

この抵抗(というよりリアクション)は、個人の性格の問題ではない。よく知られた理屈の上に乗っている。

ひとつはエスカレーション・オブ・コミットメントだ。Staw(1976)が示したように、人は自分が投入した労力や資源が大きいほど、撤退ではなく追加投資を選びやすくなる。合理的に考えれば損切りすべき局面で、これまでの投資が判断そのものを歪める。いわゆるサンクコストの罠だが、厄介なのは、本人がその罠に気づいていても抜けられないことだ。

もうひとつは心理的所有感という概念だ。Pierceら(2001)は、法的な所有権とは別に、人が対象に対して「これは自分のものだ」と感じる心理状態があり、それが自己の一部として統合されていくことを整理している。自分が立ち上げ、育てた仕組みは、単なる業務ではない。それは自分の延長とも言える愛着に満ちた対象となる。だからこそ、終了の提案は単なる業務提案ではなく、自分自身への評価として届いてしまう。

そしてKeganとLaheyの免疫マップの考え方も参考になる。オーナーの中には「やめるべきだ」という改善目標と同時に、「終わらせた人だと思われたくない」という裏の目標が働いていた、と読むことができる。この二つは本人の中で矛盾なく同居する。だから説得は効かない。正論は、裏の目標には届かないからだ。

つまり、「理屈ではわかっているのに頷けない」というのは、理解が足りていないのではなく、理解とは別の層で守られているものがある、という状態なのだ。

「殿堂入り」という言い換え

では、どう話せばよかったのか。

教科書的な答えはひとつしかない。始める前に完了条件を決めておくことだ。どうなったら終わりなのかを最初に合意しておけば、終了は敗北ではなく、計画の達成になる。これは正しい。正しいが、現実にはそれができないまま走り出すプロジェクトのほうが多い。

だから、決めそびれた状態から終わらせるような、話し方が必要になる。

かつての上司が使っていた表現が、今になって大切だったのだとわかる。「発展的解消」「殿堂入り」。どちらも、終わりを負けとして扱わない言い方だ。

「もう誰も見ていないので、やめましょう」は、事実として正しくても、人を傷つける。真剣にやってきた相手に向ける言葉ではない。そうではなく、「この仕組みは一定の役割を果たしたので、いったん殿堂入りという扱いにして、チームのエネルギーを次のチャレンジに振り向けませんか」と持っていく。終了の提案ではなく、移行の提案にする。

言い換えは小手先のテクニックではない。相手が何を失うと感じているのかを正確に把握していなければ、間違える。彼が守りたかったのは成果そのものではなく、「自分の仕事には意味があった」という事実だった。だから、その意味を大切に守ってから、次の話をする必要があった。

区切りをつけることは、信頼の源泉になる

始めるより、やめるほうが難しい。やめると言った瞬間、どこか負けたように見えるからだ。

でも、本当はそうではないと思う。その時々で必要なことをして、一定の成果を出したなら、十分に価値を出している。むしろ最後の整理をするときにこそ、やってきたことをノウハウとして言語化し、組織の資産に変えることができる。動いている仕組みそのものが残らなくても、それは残る。

責任感のある人ほど、やめることに抵抗を示す。途中で投げ出して次の場所に移っていく人のほうが、世の中には多いくらいだ。最後まで見届けて、きちんと区切りをつけて次に行ける人は、実は多くない。だから、抵抗が強いという事実は、その人が真剣にやってきたことの裏返しでもあると私は思う。

そう考えると、撤退の提案でやるべきことは、相手を説得することではない。寄り添う姿勢を見せることでもない。本当に相手の側に立って、何を失うと感じているのかを一緒に見ること。抵抗を最小化するのは、結局それしかないのだと思う。

参考文献

– Staw, B. M. (1976). Knee-deep in the Big Muddy: A study of escalating commitment to a chosen course of action. Organizational Behavior and Human Performance, 16(1), 27-44.

– Pierce, J. L., Kostova, T., & Dirks, K. T. (2001). Toward a theory of psychological ownership in organizations. Academy of Management Review, 26(2), 298-310.

– Kegan, R., & Lahey, L. L. (2009). Immunity to Change: How to Overcome It and Unlock the Potential in Yourself and Your Organization. Harvard Business Review Press.(邦訳:ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー『なぜ人と組織は変われないのか』池村千秋訳、英治出版、2013年)

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